今年の4月22日、安倍首相は経済財政諮問会議と産業競争力会議との合同会議で「時間ではなく成果で評価される働き方に相応しい、新たな労働時間制度の仕組みを検討してほしい」と述べ、新成長戦略に記載しました。
「成果で評価される柔軟な働き方」と盛んに新しさを強調していますが、約20年前から日本の大手企業を中心に導入されて、手垢にまみれた成果主義賃金の装いを変えたものにすぎません。富士通の大失敗は有名ですが、それにも拘わらず、95年「日経連」が「新時代の日本的経営」で成果主義への転換を提唱し急速に広がりました。しかし、結果はさんざんで、多くの企業が制度を廃止、または見直しました。08年厚労省はついに「労働経済白書」で、企業への反省と是正を求めざるを得なかったのです。
そもそも、時間ではなく成果で賃金を決めようとすること自体が無理なこと。私たちは労働した報酬として賃金を受け取ります。賃金の多寡は、「労働力の価値」、つまり明日も元気で働くために必要な社会平均的なコストとして相場が決まります。医師の賃金が高いのは、「高度で重要な仕事だから」ではなく、「医師としての労働力を身につけるために膨大なコストがかかるから」です。実際に通勤手当、資格手当、役職手当、残業手当などの手当も知識・経験の取得や身体的・精神的回復、維持にかかるコストとして支給されています。一方、能力が高く企業に対して成果を上げられる人というのは、企業にとって使用価値の高い人ということです。実際「2倍の成果を上げたから、賃金も2倍になる」ということがないように、本来使用価値は賃金の多寡を決める要因ではありません。ただ、使用価値の高い人というのは企業にとって雇い続けたい人ですから、「需要と供給」が相場に対して実際のモノの値段を上下させるように、相場に対して実際の賃金が上下しているにすぎません。
19世紀の資本家たちは「出来高賃金制」を発明しました。なぜならその方が企業にとって都合が良いからです。出来高制は、元々労働時間で支給していた賃金を商品で割り算して「単価」を決めたに過ぎません。しかし、あくまで「結果」に対して支払う制度のため、「質」も要求する点でより資本家に有利です。
一方、「成果賃金制」も、企業が望む使用価値を労働者に強制する点で共通。しかもその基準作成の権限を握っているのは企業側です。結果的に、労働者がより多くのリスクを負い、立場を弱くしていく仕組みなのです。